rm /blog

IT系技術職のおっさんがIT技術とかライブとか日常とか雑多に語るブログです。* 本ブログに書かれている内容は個人の意見・感想であり、特定の組織に属するものではありません。/All opinions are my own.*

MASTERキートンの思い出

読んで字のごとくである。
暇だから書いてみる。
浦沢直樹の「MASTERキートン」についての思い出である
※ネタバレしまくってるので注意

MASTER KEATON / 1 完全版 (ビッグコミックススペシャル)

MASTER KEATON / 1 完全版 (ビッグコミックススペシャル)

 

 


 

はじめに

私が高校の頃に、なんだか分からんがクラスで浦沢直樹作品がはやったことがある。
当時は確か「MONSTER」の連載後期で、「20世紀少年」と並行連載していたころ、だったと思う。
Wikipedia見ても大体時期が合ってるからそうだと思う(正確には覚えていないが2001年頃だった記憶がある)。
当時連載中だった「MONSTER」や「20世紀少年」は勿論、彼の過去作品である「パイナップルアーミー」「MASTERキートン」も派生的に流行って、学校に持ってきちゃいけないのに、漫画持ってきて隠れて読み漁ったものだ(たまに見つかって没収されたりもした…)

そうした中で、「MASTERキートン」を読んだ友人ら数名と、MASTERキートンで一番面白い話は何か?」という話題があがったことがある。
MASTERキートンは、基本的に1話完結型だが、たまに前後編で構成された話や、4~5話続く長編型の話もある。
高校生当時、私は、「MONSTER」や「20世紀少年」に代表される、インパクトのある長編サスペンスやミステリーが好きだったこともあって、その関連で、あまり深いことを考えずに、長編作品である最終話「TA89」の話を挙げた。
ちなみに友人の一人は、日本の電機メーカー「ヤザワエレクトリック」のイギリス支社の人が誘拐される話(「交渉人のルール」、「身代金のルール」/完全版3巻収録)を挙げていた。
→理由は詳しく忘れたが、「交渉人(ネゴシエーター)は自分が助けた人とすら極力顔を合わせるのを嫌う」というのが凄まじくカッコイイ、とか、なんかそんな感じだったと思う。それを聞いて、少なくとも俺の理由よりははるかに大人っぽいな、と感心した記憶があるw

20年近く経ってみてもう一度このMASTERキートンで一番面白い話は何か?」を考えてみると、当時とは違った話をチョイスするな、と思ったので、改めて考えてみたのである。
当時チョイスした「TA89」ももちろん「面白い」話だが、今改めて考えると「一番」という条件に該当しない、という感覚に至ったのである。
当時のチョイスが上述したように「あまり深く考えていない」という自覚があるのもそれに拍車をかけている。
いろいろな側面・観点で「面白い」の価値観があるので、一括りで「"一番"面白い」というのは言い切れないし、一人ひとり違うエピソードを選出するからこそ「一番面白い話は?」を語ること自体に面白味があるので、ここで語るのもあくまで俺個人の主観に基づくものでしかない。
だからあくまで、「MASTERキートンのファンが勝手に選ぶ面白い話」として、読んでもらえたら幸いである。


 

MASTERキートンで一番面白い話は?(その1)

「面白い」の定義もいろいろあると思うのだが、この作品において「面白い」と俺が思う観点は何か?を、おっさんになった視点で改めて考えてみた。
まず、主人公であるキートンは、現実に存在したとしたらとてつもないチート人材だと考える。

  • 日本語、英語は勿論、スペイン語、ドイツ語なども話せるマルチリンガルである(とてもあこがれる)
  • オックスフォードを卒業し、考古学・歴史学の深い知識を持つ
  • 軍隊経験者でもあり、肉体的に頑強、銃器の扱いにも長け、サバイバル知識も豊富
  • 専攻である考古学は決して理系分野ではないが、化学式の知識から、チョコレートを溶かして爆薬を凝固させることを思いつき、爆弾の爆発を止めた

いや何でもできるじゃん…天才か??
と思わざるを得ない。
「いや、絵じゃん」と言えばそれまでなのだが、とにかくすごい人物だと思うのである。

こうしたバックグラウンドがあるため、キートンが遭遇するあらゆる事件や危機に関しては、一時的に窮地に追い詰められることはあっても、基本的に彼が一枚上回って解決する。
その豊富な知識量と洞察力、元軍人としての経験等の凄さが発揮されることが、作品の醍醐味といっても過言ではないだろう。

だが、いくつかの事件に関しては、事件の犯人や主犯格に相当する人物が、結果的に彼を出し抜いたり、特定の分野に特化して純粋に能力的に上回っている等で、キートンより上を行くケースがある。
キートンという人物の能力の凄さを考えると、作中でのそうしたエピソードは決して多くなく、「稀有な例」と言っても良いだろう。
大人になって現実的にキートンの能力を客観視したとき、キートンが上述したような能力を持った人物であるにも関わらず、キートンの「上を行く」人物がいる、というのが本当にすごいと思ったのだ。
要するに「敵に感心した話」とでも言えるかもしれない。
これは大人になって考える、作品の「面白い」と思える視点の一つだと思っていて、まず、この観点で「面白い」と思うエピソードを上げていきたい。
あまりこういうのにランキングを付けるのは個人的に好きじゃないのだが、ランキング形式で紹介していく。

 

【第三位(同率その1)】
ライオンの騎士/銀月の騎士(完全版9巻収録)


キートンの学生時代の友人で、現テレビ局の総帥となったフレッドが、フォークランド紛争開戦に至ったイギリスという国家の「闇」を暴こうとする話。
フレッド自ら、フォークランド紛争開戦に大きく関わった主要人物・マクスウェル卿へインタビューし、その映像を無編集で流そうとする。
インタビューでは、「この国を裏から動かしている3人の貴族」の実名が出てくるという。

だが、インタビュー映像を流そうとすると、当の本人であるマクスウェル卿が突然亡くなったり、銀行の融資話がナシになったり、終いには秘書が誘拐されるなど、たびたびフレッドの周りで事件が起きる。
また、前編(ライオンの騎士)ではフレッドの側(味方)だと思われていたモリスは、終盤「敵」の側であることがわかり、フレッドは社長の地位を追われ、窮地に追い詰められる。
だが、番組編集陣のスタッフが結集し、その時点ではもう旧社長となったフレッドの考えに共感して、フレッドがマクスウェル卿にインタビューした際の映像をそのまま流すよう、番組を決行する。
しかし、マクスウェル卿がインタビューの中で、「3人の貴族の実名」を口にしようとした矢先、ビデオが途切れてしまう。

秘書を誘拐から救おうとする話まではキートンが活躍するが、ビデオが何者かの手で編集され、実名が報道されないようビデオが細工されていた点に関してはキートンの手が及ばす、結果的に「3人の貴族」の実名は明かされないままになった。
作中では、「3人の貴族」本人たちを描いているだろう描写も数回出てくるが、毎回後ろ向きで顔が描写されず、作中ですら「正体不明」を貫いている。

冷静に考えれば、最後、フレッドの考えに共感して結集した番組編集陣の中に「3人の貴族」側の人間がいて、ビデオを編集したと考えられるが、「フレッドに共感した」描写に関しては全員心の底から同じ思いであるように見え、とても「この中に敵側の人間がいる」とは思えなかった(もちろんそれが漫画の狙いだったんだろうが…)
最後に敵を裏切り、社長権を無理やり得たモリスですら、「まだフレッドの味方をするものがいる」というのに驚いていたから、その中に自分と同じ側の人間がいると知らなかったのだろう。
そうした人間にまで幅広く手を伸ばせる、限りなく巨大な「国家権力の闇」を感じさせる。

「結果的にキートンより先をいってビデオ放映を阻止した」という点で上述の観点に相当する。
主犯格となる「3人の貴族」が正体不明で具体性がなく、終始まるで「神のような存在」として描かれており、「力が及ばない」という点が明確過ぎるという点で3位に位置付けた。
しかし、ビデオをどうやって編集したのかは全く謎で、まさしく「手の及ばない国家権力」の不気味な存在をうまく演出している良作である。

 

【第三位(同率その2)】
赤い風/赤き哀しみ(完全版8巻収録)


イギリスで起きた殺人事件でロシアの政府高官ステファン・ラージンのボディーガードが殺される。
そのボディーガードは首に木の枝を刺されて殺されていた。
その後、もう一人のボディーガードも、自身のネクタイで首を絞められて殺される。
このことで、ボディーガードを失ったラージンから、一時的にボディーガードの代行を頼まれたキートンはしぶしぶ請け負うことになる。

ラージンも出席している航空ショーで、SAS時代の上司だったウエスト大尉と再会したキートンは、ウエスト大尉から二人のボディーガードの殺され方を聞き、「クラスヌイ・ヴェーチェル」、ロシア語で「赤い風」を意味する言葉を口にする。
エスト大尉から、「赤い風」はKGB工作員であり、武器を持たず、現地のものだけを使い、標的を確実に殺す恐るべきエージェントである、関われば君も死ぬ、手を引け、と告げられる。

一方、航空ショーに出席していたラージンは、人とぶつかって思わずワインを服にこぼしてしまい、ハンカチでそれをふこうとしたところ、何かを見つけ、突然大声をあげて気を失ってしまう。
部屋に戻って話を聞くことにするキートン
ラージンは子供の頃に、ニコライ、ミハイルという2人の友人がいた。
当時学校の担任であったナタリア先生とラージン含む3人は、お互いに「裏切らない」「嘘をつかない」「逃げ出さない」という「3つの誓い」で約束をした。
しかし、その後、ミハイルはアフガニスタンで死亡し、ニコライは自殺したという。
だが、航空ショーで先ほど取り出したハンカチに、自分以外は知っている者がこの世にいるはずのない「3つの誓い」が書かれており、それで戦慄したのだった。
キートンは、アフガニスタンで死亡したミハイルが実は生きており、彼が「赤い風」となってラージンを狙っているのでは、と推測する。

そのあとラージンをなだめ、シャワーでも浴びてくるように促したキートンだったが、次に気づいた時には地下にいて、椅子に縛り付けられている状態だった。
目の前には見知らぬ男がおり、キートンはその男こそが「赤い風」、ミハイルであると確信する。
そのあと、同時に大使館から助っ人がやってくる。
「赤い風」はその足音をイヤホン越しに聞いて、3人の男の体格、一人がサンボ使いであることや、しゃべり方等から出身地まで推測し、キートンはそれに驚く。
キートンは、ラージンを殺しにいこうとするミハイルから、「ニコライは自殺ではない、ラージンはニコライを殺した」と告げられる。

大使館から来た助っ人をものともせず、難なくラージンに近づくミハイル。
そこにキートンがかけつけ、ミハイルを止める。
「お人好しな奴だ。だが、私には勝てない」と一蹴し、軍隊経験者でサバイバル技術のスペシャリストであるキートンですら、難なく倒されてしまう。
ラージンを追い詰めるミハイルが、観念して「確かにニコライを殺したのは私だ」と白状する。
しかし、ラージンは続けて、「ニコライが武器の横流しビジネスを独占しようとして、私を殺そうとしてきたんだ。だから殺すしかなかったんだ」と事の真相を明らかにする。
そのすきをついてナイフでミハイルの腹を突き刺すラージン。
二人はもみ合ったあと、ラージンはホテルの階段から落下し、死亡した。
ミハイルは最後に「ナタリア先生、俺たちいい男になれなかったよ」とつぶやく。

冷戦を経て激動に見舞われたロシアの若者を描いた作品。
バックグラウンドは社会派だが、私が本作をこの位置に入れたそういった理由ではなく、単純に「赤い風」のキャパビリティに注目したからである(もっと浅い理由である)。
恐らくKGB工作員として相当な特殊訓練を積んだであろう「赤い風」の能力は、上述したようにSASのサバイバル技術の教官でもあったキートンが感心するほどで、接近戦でもキートンを圧倒する。
現場にあるもの(木の枝、ネクタイ、ボールペン、フォークなどの食器等)で人を殺害するというのも中二心をくすぐる。
キートンの軍隊経験者としてのスキルは、得てして他のものを圧倒するように描かれることが多いが、この回は特別で、キートンが逆に圧倒されるという珍しい回で、非常に印象深い。
「赤い風」に若干特殊性が際立つという理由からこの位置に据えた。

 

【第二位】
RED MOON/SILVER MOON(完全版2巻収録)


人狼伝説の残る西ドイツの土地で、黒髪の女性が不可解に死亡する事件が相次ぐ。
女性は死亡する直前にまるで人狼になったかのように暴れ狂い、死亡していく。

死亡者の保険金受取人が同じ一人の男性、コワルスキ氏であることから、「保険上の統計からみても死亡者数は不可解」と、キートンはコワルスキが犯人であると目をつけるが、証拠がない。
コワルスキは、当時婚約していた女性とは別の女性との重婚の疑いがあり、その嫌疑でキートンは実際に彼の自宅を警察と共に訪問する。
本当の訪問理由は、現妻である女性が同様の方法で殺されてるのではないかという疑いであり、それお理由にコワルスキの逮捕を狙ったものだったが、訪問中、自宅の奥からコワルスキの現妻が何食わぬ顔で現れ、キートン含め、全員の目の前で潔白が証明されてしまう。

事件を共に追っていた医師に話を聞き、過去「同様の症状を経た人物が一時的に蘇り、その後死に至った」という論文があった話を聞き、調査を深堀し、犯人の正体と目的を突き止めたキートン
しかしそのころにはもう、彼は故郷に帰り、復讐を完遂させようとしていた。

犯人のコワルスキが終始冷静で、自分のペースを崩されることなく犯行を続けていくという点が、彼の心理的・精神的な余裕度を思わせると同時に、完璧な計画性の裏に秘めた底れない深い殺意を感じさせる。
また、それらが、コワルスキという人物の「何人もの女性を殺害しておきながら顔色一つ変えない」という冷徹なサイコパスを見事に演出している。
キートンも、犯人の目星はほぼついてるにも関わらず、決め手がなく抑えられない点を理解しており、恐らく同様にコワルスキもそのこと(自分を捕まえるには決め手がない、まだ自分は捕まらない)を理解しているがゆえに、心理的余裕の描写がより増長されているように思える。
上記の背景がある中で、キートンが「彼はとても頭がよく、恐ろしい人物だ」と語っているのは、キートンほどの能力を持つものですら、コワルスキに対して畏怖の念を抱いているようにも思える。
最終的に作中では、コワルスキは(具体的な描写はないが)最終目標である自分の母親を殺害し、また最後に自身も自殺する形で幕を引いており、結果からすると彼はキートンから逃げ切って自身の目的を完遂した形になる。

その完璧な計画性、終始冷静で余裕のある態度、専門知識を生かして優位性を保った行動力等、自身の目的遂行のために確実な準備を打ち立てて、最後までやり切った様は見事。
最終的にキートンから逃げ切ったという実績、かつ最後に「勝ち逃げ」のような形で幕を引く完璧な計画、それらはキートンという超人を出し抜いた稀有な例と言えるだろう。
キートンが途中まではほとんど目星をつけていたことと、キートンの得意分野ではないと思われる、医療分野で上を行ったという点から、2位に位置付けた。

 

【第一位】
死者からの贈り物(完全版9巻収録)


現役の刑事、リチャード・ウォーカーは、ラッセル商会の会計士アラン・ベイツを射殺した罪で逮捕される。
その翌日、リチャード・ウォーカーの息子であるフランク・ウォーカーが、キートンの事務所を訪れる。
フランクと共にリチャードの面会に向かうと、「アラン・ベイツに頼まれて、死亡したように見せかけるためにうった。アラン・ベイツは防弾チョッキを着ている予定で、死ぬ予定ではなかった」とのこと。

リチャードの話を聞き、ラッセル商会に話を聞きに行くが、「自殺なんてものからは最も程遠い男」だといわれる。
また、生前アランが通っていた病院がわかり、病院を訪ねると、悪性の腫瘍があり、余命半年だったと告げられる。

フランクの家を訪ねると、扉の下に手紙が挟まれており、そこには意味不明な詩と、「これは復讐だ」という宣言。
これまでのことは、アラン・ベイツが仕組んだ復讐計画だったと判明する。
しかし、手紙を出した本人がアランである証拠はなく、リチャードの無実を証明する手がかりにはならない。
キートンは、意味不明な詩の部分を手掛かりに、フィンチレイ通りというキーワードを探り当て、リチャードに過去の事件の中で「フィンチレイ通り」に関連したものはなかったと尋ねる。
リチャードはフィンチレイ通りの30年前の事件を思い出した。
その後の調べで、そのとき逮捕した犯人バリー・プレストンが、有罪無罪うやむやなまま拘留され、留置場で亡くなったこと、そのときの犯人の息子こそが、アラン・プレストン=アラン・ベイツであり、今回の復讐劇のきっかけだったと知る。

全てが判明したが、証拠がないため、リチャードの無実を証明できない。
リチャードは当時のことを悔いて、おそらく無実の罪のまま逮捕され、留置場で死んだバリー・プレストンの墓に花を捧げにいってくれないか、と頼む。
キートンとフランクはバリー・プレストンの墓に花を捧げに向かった。
そのとき、牧師であろう人物が現れ、キートンとフランクにある一つの手帳を手渡す。
その手帳はアラン・ベイツが今回の復讐計画を書き記したもので、リチャードの無実を証明できる証拠だった。
キートンは最後、「結局、我々は彼(アラン・ベイツ)の描いたストーリーから一歩も出られなかった」と感心する。

完璧すぎる計画をたてたアラン・ベイツという人物の聡明さが際立つ良エピソード。
キートンがフィンチレイ通りを探り当てるところや、バリー・プレストンにたどり着くまでの道程等、すべてがアランにより予め「仕組まれて」おり、キートンですら最後まで完全に手玉に取ったことは見事という以外にない。
また、復讐劇をうたっておきながら、最終的にはハメたリチャードの無実を証明できるところまでをも描いており、実に爽やかに結末を迎えている。
そのうえ、本人は余命いくばくもない中で、あえてそれよりも前に人の手による死を選び、「勝ち逃げ」をしたことにも、アランという人物の底の深さを感じる。
自身の死後に、キートンを含めた周囲の人間を、これほどまで自由に動かせるものか、と考えると、その計画力には称賛しかあるまい。
「優れた洞察力を持つキートンをさらに上回った」という観点において、これ以上の見事な傑作はないだろう(と個人的に思っている)


 

MASTERキートンで一番面白い話は?(その2:別観点)

MASTERキートンは、事件や事故、闇組織と戦い等、社会派のサスペンスエピソードばかりがそろっているわけではない。
日常のちょっとしたトラブルや、キートンの子供時代の話、キートンの父親や娘の話、そもそも全然違う人物が主役になっていてキートンはオマケで登場するだけの話等、様々なストーリーがある。
上述したように、高校時代は「MONSTER」「20世紀少年」などの巨編サスペンスが好きだったので、こうしたエピソードは正直かったるくて受け付けなかったが、今読み返してみると、これらがもうエモイのなんの。
「大人になった今、改めて考える」というのを出発点としたとき、こうした作品群も「MASTERキートン」の魅力の一つであり、本作品を語るうえで忘れてはならない要素の一つだと考えたのである。
全体の中では多いほうではないが、こうしたエピソードも数点、取り上げていきたい。
(こっちはランキングとかつけずに普通に紹介していく)

 

【別観点その1】
瑪瑙色の時間(完全版4巻収録)


キートンの子供時代の話。

コーンウォールを走るバスに乗っているキートン
この地域の住民には、夏の間だけ都会からやってくる金持ちを妬む意味を込めて「別荘組」と呼んで敬遠する節があり、キートンも「別荘組」だった。
バスの運転手クリス・ワトキンズと会話する機会を得て、「坊やはきっと人生の達人(マスター・オブ・ライフ)になるぞ」と言われ、彼と「友達」になる。

別の日にキートンがバスに乗っていると、バス内でタバコを吸う迷惑な客(ジョン)が現れる。
クリスはそれを見て、「このバスでは俺が責任者だ!バスを降りろ!」と強気な態度でジョンをバスから降ろす。
結果、乗っていたバスがキートン一人の貸し切り状態になる。
クリスに誘われ、海がよく見える丘の上に案内されるキートン
クリスから「両親は?」と聞かれると、キートンは「離婚しました」と答える。

後日、クリスに教えてもらった「海がよく見える丘」に行くと、地元住民の子供(ディーン)が現れ、キートンを無理やり荒野に誘う。
ディーンには何か裏がありそうな態度だがキートンはそれを感知しない。

そのあと、町のパブにクリスを訪ねると、先の迷惑な客に殴られて、涙を流して情けなくジョンに謝るクリスの姿を見つける。
クリスと二人でベンチに座って、自身の心境を正直にクリスに伝えるキートン
しかしクリスはそれを子供のたわごとと一蹴し、「俺はただのむやみに年をとっただけのオッサンだ。二度と友達だなんて思うな」と告げられてしまう。

翌日、ディーンに誘われて荒野に向かうが、ディーンが頼りにしていた水場が、連日の猛暑で干上がっており、水が確保できない事態に陥る。
ディーン他2名はその状況に絶望するが、この時点で考古学の知識のあるキートンが、古代人の墓から水を入手してみせる。
また、周辺が沼地で、暗闇の中動くのは危険と、キートンに諭され、結果、ディーン・キートンを含む4名は、親に無断で、荒野で夜を明かすことになる。
夜が明けて、子供たちの家族がディーン達を迎えに来ると、ディーンが「キートンが無理やり荒野に誘ってきたんだ!」と、事実とは違うことを発言し、場の現地住民は「別荘組」に対する目の色をより一層濃くする。
しかしそこにクリスが現れ、キートンを連れていく。
そして、現地住民に対して、「別荘組だからってそんな目を向けるんじゃない!」と一喝する。
クリスはキートンの方にやさしく手を置き、「友達だからな」と一言、告げる。

そのままクリスに連れていかれるキートン
そこでクリスの「秘密の場所」を教えてもらう。
「ここからの朝の海の景色は最高だ」というクリス。
その海の色に驚き、「信じられない、なんていう緑色なんだ」と驚愕する(海の色を表現する言葉が出せない)キートン
「人生の達人は、どんな時も自分らしく生き、自分色の人生を持つ。俺ももう一度立ち上がろうと思う。自分を哀れんでいる時間はない」と、「人生の達人」のありかた、クリスの決心を聞く。
この素晴らしい海の色は、「瑪瑙色の海」だと、クリスから教わるのだった。

場面は現代に戻り。
キートンは以上の過去の話を、自分の娘の百合子に話したあと、つぶやく。
「お父さん、まだ人生の達人どころから、自分の人生もわからない。でも、あの時の海の色は忘れない……」

キートンの少年期の話であるため、本職(?)である保険のオプとしての事件への関わり方等は当然皆無であるが、強く心を揺さぶられるエピソードの一つである。
少年が大人に成長するにあたって何度も遭遇することになるであろう、様々な周囲の理不尽や、大人の弱い部分等が見事に描かれているように思う。
そんな中、一時的に、かつ一方的に絶縁された大人と子供との友情関係が、「海」という、大人でも子供でも関係のない共通かつ強烈な価値観をもつ存在によってつながったという結末はとてつもなくエモイ。
高校生の当時に海といったら、藤沢や湘南のような砂にまみれた黒い色の波の海だったが、このエピソードに出てくるような、美しい海の持つ圧倒的な情景は、時に大人でも子供でも関係なく、人の心を動かすものだ。(これは本当に大人になってから身に染みて感じ入るものがあると自分で思う)
また、漫画作品自体のタイトルの一部にもなっている「MASTER」(達人)というキーワードが、キートンを指す言葉として登場する数少ないエピソードの一つであろう(他には、第一話と、SAS時代の上官、ウルフが登場する話)
最後のキートンのセリフ=自分の人生もわからない、というのも、社会人としての自分の「今」を客観的に見つめなおしたとき、強く共感するものがある。
人生において、「決して忘れない」と強く心に刻まれた風景があるだろうか?
キートンのように、心に残る情景を作りたかった、と思ったのである。

長々とかっこつけて書いたが、これを読むと毎回最後付近で涙腺が緩んでしまう。
別にそれほど感動するようなエピソードでもないはずなのに、である。
これは本当に、高校生のころは全く何ともピンとこなかったエピソードで、むしろ「なんだこの退屈な話は」と思っていたほどなのに、今になってこれを読んで涙腺緩むというのに、当時とは違う感受性を得たのだな、と感じる部分もある。
これが自身の成長によるものなのか、何も考えず時間だけが経った(要するにただ年食った)だけなのか?は、わからないが、結果だけ見て、「当時とは違う感受性が芽生えた」という事実には、正直謎の感動を覚える。
こうした点が「MASTERキートン」の魅力であると言えよう。

 

【別観点その2】
家族の瞬間(完全版3巻収録)


日本の大学で考古学者としての雇用の可能性があり、その連絡を受けるために日本に帰ってきたキートン
自宅の廊下から外を眺めて、「日本の秋は世界一だなあ」とつぶやく。

翌日、キートンの父親、平賀太平に付き合うことになる。
平賀太平の先輩だった学者の奥さんのいる老人ホームに向かい、過去の思いの出の中に生きる奥さんをなだめたり、借金苦に苦しむ青年に競馬のアドバイスをして、孫(百合子=キートンの娘)に万馬券を買わせてみたり、等の場面に出くわす(しかも万馬券が的中して、青年の借金は返せる形になる)

その日の夜、キートンが面接にいった日本の大学から連絡があるが、結果はNG。
それを聞いた百合子や太平やキートンを励ましたり、なだめたりする。
キートンは空元気を見せるものの、実態としては落ち込み、悩んでおり、「オプの仕事ばかりやっていて、人生を無駄にしている気がする」と本音を発する。
周囲に鈴虫の鳴き声だけが残ったあと、ふと、太平が「なあ、太一(キートンのこと)、こうやって人生を無駄遣いするのも……素晴らしいことじゃないか。」とつぶやく。
日本の静かな秋の風景が、太平の言葉を体現化していく。

最後の、「人生を無駄遣いするのも素晴らしい」という発言は、本当にとても素晴らしいと思っていて、これは座右の銘したいくらい、心に常駐させておきたい言葉だと感じる。
現代人は得てして、日々の仕事、学業、家庭等に追われ、目まぐるしい日々を送っており、それによって少なからず、精神的に追い詰められている部分は誰でもあると思っている。
そうしたときに、このような「人生を無駄遣いする」というのは、すごく貴重で、何も考えず、何をすることもなく、ただボーッと過ごす、ということで、心がストレッチされるという側面は実際にあると思う。

ただ、この話の本質は、そういう「無行動」の境地を語ることにはないと個人的に考えている、。
冒頭にキートンがつぶやいた「日本の秋は世界一だ」という言葉を、話の終わりに帰着させるための「人生の無駄遣い」という発言であり、この話を読む限りでは、「日本の秋の素晴らしさ、それをただ眺めて過ごすことの素晴らしさ」をうったえている、と考えるのが妥当であろう。
このため、上述したような観点は、読み手(私)が勝手に派生させて読み解いただけのことで、話の本質からは正直ちょっとズレているんだろうな、というのは感じる。
だが、日本の「古き良き秋」の夜を題材にした、「静寂の時間を過ごすことの大切さ」というテーマには、現代の観点からでは、上述したような特性も孕む部分が少なからずあると思っていて、そう思うと、この話のエモさにはたまらない情動性を感じるのである。

 

【別観点その3】
靴とバイオリン(完全版8巻収録)


ロンドンの路上でバイオリンを弾いている老人、レイモンド。
その前を若い女性(ビッキー)が走り抜け、通り過ぎるときにレイモンドの足元に置かれたバイオリンケース(おひねりを入れてもらうためのもの)の中に財布を放り投げる。
その後方に、ビッキーを追いかけるガラの悪い男。彼は「財布を返せ」と訴える。
ビッキーはその男につかまるが、財布は見つからない。
あきらめて帰っていく男をよそに、レイモンドのもとに近づき、お礼を言うと、バイオリンケースに投げ入れた財布を拾い上げる。

ビッキーは「ロンドンの歩道(ペイブメント)で生きていくなら、誰も信用しないことね」とレイモンドに言うが、レイモンドは「そうかなあ、中には信じていい人もいるんじゃないのかね」とのんきな態度。
街でスリや詐欺師と実際に多く対面しているビッキーは、警戒心が強く、そうした背景から基本的に人を信用せず、疑ってかかる性悪説だが、逆にレイモンドは性善説
最初はビッキーもレイモンドのそうした性格を良しとせず、深く付き合おうとはしなかったが、町で顔を合わす機会が増えるたび、レイモンドのそうした優しい一面に触れ、徐々に心を許していく。
そんな中で、ビッキーが自身の履いている靴を「相棒」としてレイモンドに紹介する。
レイモンドは一目見ただけでその靴が「ヘルメスJタイプ」と見抜き、そのことにビッキーが感心する。
それに対してレイモンドは「40年間靴を売ってきたからね」と、自身が靴屋さんであることをボンヤリとビッキーに告白する。

そこを訪ねてくる悪趣味な男、マービン。
マービンの言動から、マービンはビッキーに対して、歪んでいるともいえる愛情を向けていることが推察できる。
マービンは、その日の夜に開催されるサッカー戦のチケットをビッキーに渡して、来てほしいと伝えるが、マービンが来るまで走り去ると、すぐにチケットを破り捨てる。

そんな折、キートンがレイモンドを訪ねてくる。
勘の鋭いビッキーがいち早くキートンの尾行に感づき、レイモンドに逃げるように指示する。
自慢の足の速さで逃げるビッキー、その速さに驚くキートン
追いつこうとしたところで、ビッキーに靴(ヘルメスJタイプ)を顔面に投げられ、見失ってしまう。
その後、レイモンドとビッキーは町の靴屋を訪ね、ヘルメスJタイプを探してる旨を伝えるが、「生産中止で在庫もない」と告げられ、見つけることができない。
街中探し回って夜になった後、町のベンチに座ってビッキーと話すレイモンド。
そこで、ビッキーの悲しい過去を聞く。
いつの間にかレイモンドの肩に頭をもたげて寝入ってしまうビッキー。
レイモンドを信用している様子がうかがえる。

翌日、マービンに連れ去られてしまうビッキー。
それを探そうとするレイモンドのもとを、再びキートンが訪ねてくる。
だが、レイモンドは、「君に連れ戻される前に、やらなければならないことがあるんだ」とキートンに告げる。

マービンのもとに連れ去られたビッキーを助けに向かうキートンとビッキー。
バイオリンケースをマービンに投げつけ、ひるんだところを助け出す。
「逃げるんだ!」と言うマービンに対し「でもバイオリンが!」と、レイモンドの商売道具であったバイオリンを心配するビッキー。
視線の先には、投げつけられて壊れたバイオリン。
「いいんだ、元の商売に戻ることにしたよ。ありがとう、君のおかげで楽しかった」と、ビッキーと共に逃げるレイモンドが告げる。

後日、ビッキーが町の靴屋を訪ねる。
「レイモンド」という名前の従業員がいないかを探している旨を伝えるが、「そんな名前の従業員はいない」と答えられる。
そのあと、町の子供に「お姉ちゃんに渡すように言われた」と、靴箱を渡され、中を見ると、生産中止で在庫がなかったはずのヘルメスJタイプが入っていた。
靴箱にはレイモンドからの手紙も同封されており、「もう危険なことはしないでください。その靴で思いっきり走ってください」というメッセージが書かれていた。
その手紙を受けて、レイモンドを探し出すビッキー。
「ちゃんと働いて、バイオリン買ったんだ!受け取ってよ、レイモンド!」
と、叫びながら町を走る。
レイモンドがビッキーを助けるときに投げつけて壊れてしまったバイオリンを、スリ等の危険な手段ではなく、ちゃんと仕事して稼いだお金で買い替えたのだった。
その様子をやりきれない顔で眺めているキートン
最後、レイモンドが、靴メーカーの社長として、ヘルメスJタイプの再生産を社員に指示する様子が描かれる。
「あの靴を、心から愛してくれる人がいるんだからね」という言葉と共に。

本エピソードは、他の平均的なエピソードに比べて事件性も強くない。
主役はレイモンドとビッキーであり、キートンは「オマケ」で裏方として物語を演出する立場にいるような構図である。
そのため上述したエピソードに比べるとキートン自身の存在感はだいぶ薄い。
だが、こうした背景にあって、本作の「エモさ」はかなり高く、なぜか涙なしには語れない。
本エピソードにおけるキートンの役割は、(恐らく無断で会社を飛び出したであろう)レイモンドを連れ戻すことだが、ビッキーを助ける過程で、レイモンドとビッキーの関係性も把握していていただろうと推測できる。
それ故、その後かなうことがないであろう、ビッキーからのレイモンドへの感謝の気持ちを見ての、あのやるせない表情は何とも言えず、とても虚しく、哀しい。
また、大企業の社長として、ビッキーという「靴のファン」の思いをくみ取り、キーワードとなっていた靴の再生産を指示するラストシーンは、ビッキーの思いの側に立てば、とても嬉しく思う、と同時に、ビッキーの思いと自身の行動が決して交差することがないだろうと思うと、これもまた虚しく、哀しい側面を持っている。
普通に人生を歩んでいたのでは、恐らく交わることがなかったであろう二人の思いが、一時的に結びつき、また最後には、結びついたようで離れてしまったという、矛盾をはらんだ結末である。
ビッキーが自身の過去の活動を悔いて「まじめに働いた」という事実や、大企業の社長がたった一人の愛好家によって企業活動を取り決める部分等、このエピソードが結果的にもたらした効果は強いが、逆に当事者同士は決して交わることがないだろうと推測され、それが強く心に響く。



他にもいろいろあるのだが、言い出すときりがない(まじで全話紹介することになるw)のでいったんここまでとさせていただく。
気が向いたら更新するか、続きという形で別記事にしようと思う。w